ページトップへ戻る

せいぼじゃぱん
せいぼじゃぱん
日本とマラウイーせいぼじゃぱん
なんで日本なの?

日本はその歴史の中で、支援を受け手、そして送り手の両方になったことのある特徴的な国で、象徴的な国だと思います。その歴史の中で、支援を受けることが必ずしも良いことではなく、侮辱の対象と変わってしまうこともありました。しかし、一方で日本は、多くの人々に共感を示す姿勢を持った国だと思います。そして、何よりも日本は給食支援を肌で経験した国なのです。
現代の経済の中には、日本の過去の子ども達の世代の成功の足跡が見られます。実は、過去日本は、戦後において外国からの給食支援によって助けられたのです。

じゃあ、なんでマラウイなの?

マラウイは常に世界最貧国の一つとされてきました。人口の80%が農業に従事していますが、多くの人々が都市において貧困の状態に陥ってしまっています。その結果として、子ども達はしばしば学校に行くことができません。しかし、そんなマラウイは世界の中でもっとも優しい国の一つとしても知られています。2016年のWorld Giving Indexによれば、マラウイは他国に対して支援をしている国の代表例として挙げられているのです。だからこそ、マラウイはWarm Heart of Africa(アフリカのあったかい心)とされています。

日本とマラウイとの間の深い関係

・マラウイが独立を果たした1964年から、日本は国交を保っています。
・マラウイに入っているボランティアで最も多いのは日本人です。

困難の克服は、成長のチャンスへの架け橋

せいぼはなぜ、日本で始まったかということを疑問に思う人が多くいると思います。そして、なぜ日本を出発点として、世界的な活動へと広げていこうとしたのかということも疑問符が付くかもしれません。その疑問に対する答えにたどりつくためには、とても多くの段階があります。しかし、その段階の一歩一歩があり、単純でないからこそ、日本でこの活動を初めていくことに、深い意味を持たせることができたのです。
2015年のマラウイの状況は、とても悲惨なものであり、緊急の対処が必要な状態でした。そのため、マラウイ南部の職業訓練センターであるビーハイブでは、会合が持たれました。その会合には、3人のメンバーが参加しました。一人は、サワコ・ネビンです。彼女は、マラウイで給食支援事業を立ち上げた経験のある方でした。そして、デクラン・サマーズというアイルランド出身のボランティアも参加しました。彼は日本語を話すことができるボランティア・スタッフでした。そして、ビーハイブの責任者であるピーター・ンカタがいました。彼は2011年の東日本大震災のあった年に、日本に寄付をした人物です。こうした経験、能力を持った3人の出会い、そして話し合いの場があったことも、とても幸運なことでした。 皆さんの助けで、この3人の働きを中心にマラウイで大きな決断ができたことは、現地の子どもたちの持っている能力をもっと伸ばしていくための足掛かりとなりました。

活動メンバー
デクラン・サマーズ(Declan Somers)
デクラン・サマーズ(Declan Somers)
デクランは、アイルランド人のボランティアで、2012年~2015年にマラウイのビーハイブで働いていました。彼は、ピーター・ンカタのもとで、マラウイの地域共同体の変革に携わってきました。その後、彼は日本語を話すことができるため、日本へと移動し、せいぼじゃぱんの立ち上げを行いました。
竹野 徹
竹野 徹
2013 年から2015 年夏までJICA ボランティア事業に参加し、マラウイの職業訓練所にてIT 教育に従事。ボランティア活動の中でBeehive のメンバーたちと知り合い、その理念に共感しBeehive の活動を支援すると共にSeibo Japan の立ち上げにも尽力する。現在は日系IT 企業での海外ビジネス推進に従事する傍ら、非常勤にてSeibo Japan の業務に携わる。
山田 真人
山田 真人
東京の上智大学で英文学、神学を学ぶ中で、せいぼの “Doing Charity by Doing Business”の精神に魅了され、2017年4月からせいぼに入社しました。現在、東京でのせいぼのイベントなどを通じて、マラウイの子どもたちの支援に関わっています。