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せいぼマラウイ
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マラウイは平和で、政治も比較的安定している国ですが、世界の最貧国の一つでもあります。マラウイの日常の中では、多くの問題が連鎖的に起こってしまっています。干ばつや洪水によって作物がなくなり、貧困に拍車をかけてしまうことが多く発生してしまいます。マラウイは、約1,730万の人々が住んでいますが、その67%以下が25歳未満です。そして、その多くが農業に従事し、日々の食糧をやっとの思いで手に入れています。

小学校の無料化

1994年、マラウイ政府は小学校の無料化を図りました。それでも30%程度の小学生は、まだ学校に通うことができていません。こうした子どもたちが学校にいけない理由は、農作物を育て、食べものを得なくてはいけなかったり、歩いて食糧を見つけに行かなくてはいけなかったり、さらには現金収入のために小さな仕事をしたり、家の兄弟の手伝い、両親の世話をしなくてはいけなかったりといったことがほどんどです。

学校にいけない女の子たち

学校を辞めざるを得なくなってしまう子どもたちのほとんどが女の子です。その理由としては、両親が朝に家を出て、食べ物を見つけたり、仕事をしたりする際の留守番をさせられるのが女の子だからです。他の理由としては、幼いうちの結婚も挙げられます。

活動メンバー
ピーター・ンカタ(Peter Nkata )
ピーター・ンカタ(Peter Nkata )
せいぼマラウイのカントリー・ディレクターである彼はマラウイ北部のムジンバ地区出身で、公認技術者の資格を持ち、ナイロビ大学で機械工学の学士号を取得しています。彼は現在、チロモニにあるビーハイブ職業訓練センターの代表責任者としての業務に携わっており、それ以前はジンバブエ、ザンビア、南アフリカとイギリスのUnilever に勤務していました。また、学校給食プログラムを推進するMary’sMeals の共同設立者であり、そのカントリー・ディレクターを務めました。
彼の経験は、マラウイにおけるせいぼの成長に欠かすことのできないものであり、彼がマラウイのブランタイヤ・ロータリー・クラブの会長を務めていた時に発生した東日本大震災の際には、日本での救援活動目的で75万クワチャ(約10万円)の募金集めを支援し、それ以来日本とのパイプを持っています。
ビーハイブ職業訓練センター代表責任者として、マラウイで唯一のIT 専門学校など数多くの事業の成長を指導・監督し、多岐にわたる9 つの事業全般で利益を確保し、マザー・テレサ チルドレンセンターの資金調達に貢献するという責務を担ってきました。
彼は、5歳未満の子供に栄養失調が蔓延している事を、チルドレンセンターのスタッフから聞き、学校給食とプロジェクト管理をしていた経験をいかし、自分の生まれ育った国、マラウイでの迫り来る危機に対処する決心をしました。
さわこ・ネービン(Sawako Nevin)
さわこ・ネービン(Sawako Nevin)
2016年現在、彼女は夫の赴任に伴なって、マラウイに2度目の滞在中です。
マラウイの女子小学生の高い中退率に、人々の伝統的考え方が起因していることを知り、国民的スターであるルシアス・バンダ氏と協力して「Send Your Girls To School プロジェクト」を開始し、キャンペーンソングを製作しました。
歌のメッセージは、女子小学生の周囲の大人たちへ「女の子を学校へ行かせて。女の子を輝かせて。」と語りかけ、人々の固定観念を変えようとするもの。また 、女子小学生の高い欠席率の一因となっている衛生用品の不足に注目し、マラウイのNGO であるGENET (Girls Empowerment Network) の「洗って使える衛生ナプキン」プロジェクトの資金調達に携わる等、女子教育の促進に力を注ぎました。
さらに、青年海外協力協会によるムジンバ県カゾンバ小学校の給食プロジェクトにも関わり、彼女が、大阪の聖母小学校・中学校を卒業した経緯から、せいぼの名付け親となりました。
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ローズマリー・モニカ・マクワンダウィレ(Rosemary Monica Mkandawire)
ローズマリー・モニカ・マクワンダウィレ
(Rosemary Monica Mkandawire)
彼女は、マラウイで初の職業会計士として活躍し、2005~2014年の間は、トヨタグループ初の女性社長として、トヨタマラウイの社長職にも就いていました。 また、マラウイの経済及びビジネス環境に貢献した事で広く知られており、マラウイ税務当局やマラウイ国立銀行等のいくつもの取締役会にも参加してきました。 マラウイ輸血を設立した理事の方は、彼女の事を「不安定で恵まれない社会を常に改善しようとしてきた人です」と言っています。
彼女は、自らの功績として、2005年に公正取引委員会の理事に指名された事、ブランタイアロータリークラブの代表である事、1990年代後半に彼女が関与したマラウイ民営化委員会の設立を挙げています。
せいぼマラウイは、彼女を理事に迎えてマラウイの子ども達の生活向上にむけて専念できることを誇りに思います。

せいぼの活動:なぜマラウイなのか?
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2015年の大洪水

2015年に、マラウイの歴史の中では最悪の大洪水があり、その影響で多くの農作物に多大な影響が出てしまいました。多くの農家の穀物が被害を受けてしまったのにとどまらず、村事態も復旧が不可能なほどに大打撃を受け、家の多くも流されてしまいました。もちろん、それぞれの家庭の家畜も、死んでしまいました。
マラウイの子どもたちの10人のうち5人は、栄養失調になってしまっています。彼らは、しっかりとした栄養管理がないと、体調は回復しなくなってしまうのが現実です。すでにマラウイの多くの子どもたちは5歳の誕生日を迎えることができません。

もっとも大きな被害を受けた人々

5歳以下の子どもたちは、洪水が起こった際に最も被害を受けたにも関わらず、彼らを助けられる手段がありませんでした。食事を与える場所もなく、もちろん保育園などの施設で食事をすることはできませんでした。そうした状態を目にし、せいぼは子どもたちの必要としている支援をすることにしました。
2016年2月11日には、チリモニ地区にある地元の幼稚園から給食支援が始まり、日本、そして海外からの支援も加わりました。その結果、給食支援を開始して最初の月に、633人の子どもたちに給食を届けることができました。しかし、今でも国連のWFPによると、37%の五歳以下の子どもたちが栄養失調となっているとの発表があります。私たちの活動は、まだ始まったばかりなのです。

私達の活動の広がり

今は500万人の子どもたちが、マラウイの小学校には登録されています。そのうち、60%が都市部に位置している小学校です。私たちは田舎にある小学校の集結している部分に対して集中的に支援を行い、それと同時に5歳以下の子どもたちにも、保育園を通じて、給食支援を行っています。
私達にとっての目標は、温かい給食で世界中の子どもたちを飢餓から救うことです。空っぽのカップを持った子どもたちの姿と食べ物でいっぱいのカップを持った子どもの姿の間の違いはなんでしょうか。本来、みんなひとりの子どもに変わりはありません。子どもたちの姿は、私たちがどの国に足を踏み入れるかで変わってしまいます。学校給食は、そうした違いをなくし、全ての子どもたちが自分の将来を輝かせることができる機会を提供してくれます。